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【体験談】不育症妊婦が初産スピード出産!理由やコツかもと思うのはこれ

初産でスピード出産した理由 妊娠・結婚

当サイトでは妊娠中の女性へ向けて妊娠中でも始められる在宅ワークや家計見直しに役立つ情報をテーマにした発信を行っているのですが、このテーマを選んだのにはいくつか理由があります。

自分が妊娠中に始めたブログだから、これまで在宅ワークを経験してきた中で人に伝えられる知識や失敗談がたくさんあるから…というのも理由の1つでしたが、最も大きな理由は自分の出産とその後の子育て生活を記録として一つの記事にしたかったからです。

わいわい<br>2月に第一子出産<br>新生児育児中
わいわい
2月に第一子出産
新生児育児中

私が不育症と診断された経緯や、初産でスピード出産になった理由やコツと考えられることについてまとめました。
以下のような方におすすめな記事です!

不育症の私が初産でスピード出産した話

全く同じ状況の方はなかなかいないと思いますが、どこか一部分でも何かのお役に立てたり、誰かの心を軽くする部分があると嬉しいです。

目次をタップすると、読みたい場所から読めます!

24歳で不育症と診断後32歳で妊娠出産できた話

私は現在32際で今回第一子を出産したのですが、実は結婚前の24際の頃、抗リン脂質抗体症候群という名前の不育症であると診断されていました。

体の中に原因不明の血栓ができ、妊娠初期に流産しやすくなる病気です。

※抗リン脂質抗体症候群(antiphospholipid syndrome, APS)は血中に抗リン脂質抗体とよばれる 自己抗体 が存在し、さまざまな部位の動脈 血栓症 や静脈血栓症、習慣流産などの妊娠合併症をきたす疾患です。 引用元:難病情報センター

この病気と診断されてからしばらくは結婚もできないのではないかと不安に感じていましたが、いろいろあって今の夫と結婚でき、先日ついに我が子を出産。

私の赤ちゃんが無事にこの世に産まれてきてくれたらブログに記録を残したいと思っていたので、病気のことや出産のこと、いろいろお話していきます。

謎の痺れと皮膚症状に悩まされた3年間

24歳の時に抗リン脂質抗体症候群と診断される前に3年間ほど、私は原因不明の手足の痺れと痛みやかゆみを伴わない皮膚症状に悩まされていました。

ある朝私が目を覚ますと、左腕の感覚が全くなく、起き上がるために左腕を動かそうと思っても腕が全く反応しないことに気付きました。後にわかったことを先にお話しておくと、この時私の体の中には小さな血栓が複数できていて、一部の血栓が血管を塞いでしまい、左腕を動かすことができない状態になっていたのです。

しかし当時はその症状が何なのか分からず、私の頭に最初に浮かんだのは「金縛り」でした。今までそのような経験がなかったので、「数分待てば元に戻るかもしれない」と軽く考えてしまったのです。

実際にその時の左腕が動かないという症状は5分ほど時間が経過すると改善され、私はいつも通り起床し学校に行くことができました。しかし、朝の不思議な症状に続き、私の左腕にはまだ痺れという別の症状が残っていました。

手が痺れて物を掴みづらいし、無理に掴もうとすると痛みを感じるのです。当時は学校以外の時間にアルバイトをしていたのですが、バイト先でも食器の配膳のためにお盆を掴もうとする動作がとても痛く、我慢したら何とか対応できるけど「これは放っておくわけにはいかない、病院に行かなければ…」と感じるほどの痺れと痛みが1週間近く続きました。

腕や手の痺れということで神経内科に行ってみたのですが、診察してもらっても特に異常は見つからず、まず最初にこの病気ではないかと言われたのが、「手根管症候群」でした。しかしこの病気かも?と診断はされましたが、エコー検査では血栓が見えず…。今だからこそわかることですが、血栓が小さすぎてエコーに映らなかったのです。

手根管症候群は、手指のしびれ感を訴えて整形外科を受診する代表的疾患です。手根管とは、手首(手関節)にある骨(手根骨)と靭帯に囲まれたトンネルのことで、横手根靱帯(屈筋支帯)が天井となり、手指を曲げる腱(屈筋腱)と正中神経が通っています。この手根管内で横手根靱帯の肥厚などにより正中神経が圧迫されると、手根管症候群が発症します。引用元:横浜労災病院

この症状は3年ほど続き、その間もはっきりとした病名や対処法がわからない状況が続きました、ようやくこの症状が膠原病に関連していることが分かり、膠原病の一種である抗リン脂質抗体症候群と診断されたのは、最初の左腕が動かなかった症状発症から約4年後のことです。

たらい回しされるも病気と診断されない日々

神経内科の次は内科、整骨院、整形外科などいろいろな科を受診してみましたが、どこの病院でもこれだという病名がつかず、周りの人からは「ストレスなのではないか」「気持ちの問題ではないか」「そんなに痛がるのは大げさではないか」など、言われ放題。仮病を疑われていると感じることもあり、精神的にも参ってきてしまいました。

そんな中、新しい職場で働き始めることが私の病名を知るきっかけとなる出来事になりました。初期症状から4年経過した私の体には、時々現れる痺れ症状に加えて、両足の膝から下と両腕に広がる痛み・かゆみを伴わない皮膚湿疹(あざのような見た目)という症状が加わっていました。

職場では基本的にはストッキングを履いていたためほかの人から肌の異常について気付かれることはなかなかなかったのですが、仕事前後の着替えの時間に私の足を見た先輩から「一度皮膚科を受診してみた方がいい」と言われたのです。その先輩は前職で医療事務のお仕事をされていた方でした。

病院に行っても何もわからないという結果が続いていて正直私は病院通いに疲れていたのですが、その先輩が本当に心から心配してくださっている様子だったので、思い切って初めて行く皮膚科へ足を運んでみることに…。

次の見出しでさらに詳しくお話していきますが、この時に診察をお願いした皮膚科の先生の対応のおかげで、私は大きな病院でより詳しく検査することになり、抗リン脂質抗体症候群を患っていると診断してもらうことができました。

何年も時間をかけても、何件も病院を回っても正しい病名がわからないことがあります。病名がわかってからもはっきりとした治療法が見つからないことがありますし、ステージ4の癌など発見時期が遅れると命の危険にさらされてしまう病気もあります。私の母親が膵臓癌で亡くなっているのですが、やはり発見の時期がもう少し早ければ手術で原因を取り除くだけでもっと生きることができました。

小さな変化でも、いつもの自分の体と違うと異変を感じたら、原因がわかって症状が改善されるまでは病院通いを続けてみてほしいです。診断された病名が違って薬が合っていなかった、すぐに治ると思って手術を受けてみたら予想以上にひどい状態だった、ということは少なくありません。

治療や通院にはどうしてもお金がかかってしまいますが、やはり生きていないとお金を使うこともできなくなってしまうので…。今回無事に妊娠期を経て赤ちゃんを産むことができましたが、今後も親子ともども健康最優先で、家族みんなが元気な状態でいろんな楽しいことや美味しいものにお金を使っていけるような日々を過ごしていきたいと思っています。

初期症状から4年半後ついに膠原病と診断

皮膚科を受診した当初は、ほかの病院の先生と同じような反応をされました。「この保湿剤を毎日塗って、1ヶ月後にまた診察を受けに来てください」と言われ、保湿剤を塗っても症状に変化はない状態で1ヶ月後再度皮膚科へ。

物凄く失礼な考えですが、どうせまた何もわからないんだろうな…と心の中では諦めていました。期待してもきっとがっかりするだけだ、何も変わらない、またこのあざのある状態で痛みもかゆみも感じず普通に生活する日が続くだけだ…なんて思ってしまっていました。

しかし、皮膚科の先生の対応は今までとは違いました。「皮膚の組織を切り取って、病理検査に出してみましょう」。

麻酔を打って、足のあざのできている部分の皮膚の一部を切り取って詳しく検査してみたい…と言われたのです。そんな方法あるの?それをすればついに答えがわかるの?今までの病院で言われたことのない提案をされ、期待しないようにしていた私は驚いて拍子抜けしてしまいました。

結果としては、この病理検査の結果で静脈にエコーに映らないくらい小さい血栓が複数できていることがわかり、その血栓が原因で皮膚にあざが出たり痺れ症状が現れたりすることがあったとわかったのです。

病理検査の結果が出てからの展開は早く、まずは市内の大きな病院の膠原病内科を紹介されて受診し、そこからさらに詳しく精密検査をした方がいいと言われ、隣の隣くらいの大きな市にある総合病院に検査入院することに。

MRI、CT、レントゲン、エコー、心電図、血液検査、尿検査、髄液検査など…いろんな検査を受けた結果、ついに私は膠原病の中の一つの病気である「抗リン脂質抗体症候群」という病気を患っていたのだということがわかりました。

流産する可能性が高いと言われ結婚後も通院を継続

抗リン脂質抗体症候群と診断されるまで凄く長い年月をかけましたが、結婚してから今回出産を迎えるまでも2年以上の時間がかかっています。抗リン脂質抗体症候群患者は妊娠しても流産する可能性が高いと言われ、結婚後も定期的に血液検査や尿検査を受ける日々が続いていました。

私は結婚を機に元々住んでいた地域から約1時間ほど離れた地域に引っ越したため、結婚後の病院通いも妊娠中の悩みの一つとなりました。

抗リン脂質抗体症候群ってこんな病気

抗リン脂質抗体症候群という病気について、病気の症状について解説するサイトでは以下のように説明されています。

※当サイトの運営者である私は医療従事者ではないため、自分自身の体験した症状については経験として発信させていただきますが、病気そのものに関する詳細や研究・開発により定義されている情報については引用元に記載された内容をそのまま紹介させていただきます。

APS(抗リン脂質抗体症候群)では様々な部位の動脈血栓症や静脈血栓症、習慣流産などの妊娠合併症がおこります。動脈血栓症としては、脳梗塞や 一過性脳虚血発作 が多くみられます。閉塞する脳血管の部位により様々な症状をきたします。脳梗塞に比較して心筋梗塞の頻度は少ないとされています。末梢動脈の閉塞による皮膚潰瘍や 網膜 の動脈の血栓症による視野障害や失明が起こることもあります。静脈血栓症としては、下肢の深部静脈血栓症が多く、下肢の腫脹や疼痛がみられます。下肢の静脈にできた血栓が肺に飛んで肺血栓 塞栓症 をきたし、胸痛や呼吸困難などをきたし時に命にかかわることもあります。妊娠合併症としては、習慣流産、子宮内胎児発育遅延、妊娠高血圧症候群などがあります。引用元:難病情報センター

私の場合、抗リン脂質抗体症候群と診断された後、血栓で血管が詰まってしまうリスクを軽減するために、血液をサラサラにする薬の服用が開始されました。食事制限はない薬でしたが、検査で採血された時に血が止まりにくくなっていることは実感しました。

抗リン脂質抗体症候群患者が受ける治療については、以下のように記されています。

APS(抗リン脂質抗体症候群)の急性期の動静脈血栓症に対しては、通常の血栓症の治療に準じて抗血栓療法がおこなわれます。APSでは血栓症の再発が多く、急性期の治療に引き続き、再発予防が重要となります。再発予防には、動脈血栓症では主にアスピリンなどの抗血小板療法、静脈血栓症には主にワルファリンなどの 抗凝固療法 がおこなわれます。妊娠合併症の既往のあるAPS患者さんが妊娠した場合は、少量のアスピリンに加えてヘパリンの投与を行うことが推奨されています。引用元:難病情報センター

検査入院から約6年後薬を飲む必要がなくなる

自分が抗リン脂質抗体症候群という病気を患っているのだとわかってから約6年間、私は処方された血がサラサラになる薬を飲み続けました。これがまた薬代が安くはなくて、3ヶ月に一度血液検査を受けに病院へ通っていたのですが、3ヶ月に一度薬代で1万5,000円のお支払い…。さらに検査入院の際に脳に小さい血栓ができていたため、1年に一度MRI検査を受けるため1万円のお支払い…。

病気になると、本当にお金がかかります。治療、薬、早期異常発見のための定期検査…。病気が発覚してから約6年後に私は結婚するのですが、結婚までにしっかり貯金しておくことなんてできませんでした。すべて病気のせいにはしたくないですが、「病気さえなければそこに費やしたお金を貯金やほかのことに使えたのに」と思ってしまいます。

6年間血がサラサラになる薬を飲み続けたのですが、ある時私の定期検査の結果を見た病院の先生から、「ちょっと薬飲むのやめてみようか」と声をかけられます。え、薬飲まなくてよくなるとかあるの?とこれまた拍子抜け。

どうやら血液検査や尿検査の結果、24歳当時に悪かった数値が物凄くよくなってきているようなのです。惚気たいわけではないのですが、結婚して住環境が大きく変わったのがよかったのかもしれません。幸せホルモン、セロトニンの力か?とも思っています。

24歳で抗リン脂質抗体症候群と診断された当時は、「もう結婚できない」「流産する可能性がある人と結婚しようなんて思えないでしょ…」と思っていましたが、病気以外の部分を見てくれる夫と出会い結婚し、なんと可愛い我が子にまで会うことができました。

病気になっても、何があるかわかりません。「これをしたら絶対に治る!」という体験談は書けませんが、「楽しく幸せに暮らしていたらいつの間にか病気の症状が改善されていた」という体験談をお伝えさせていただきます。

妊娠後夫と暮らす地域の病院への転院を決意

薬を飲まなくてよくなってから約1年後、ついに子供を妊娠。つわりがひどくなるまではずっと通院していた地元の病院に通い続けていたのですが、このままお腹が大きくなるにつれて通院するのが難しくなると判断し、今住んでいる地域の病院で検査を継続できないか相談してみることに。

数値が改善されているということもあって、私は抗リン脂質抗体症候群の妊婦であっても、「薬を飲まなくても無事に出産できる可能性がある」と言われていたのです。しかしお世話になっていた地元の病院の先生からは、「薬は飲まなくてもいいし、飲んでもいい。でも薬を飲むなら、最低でも2週間に1回は検査を受けに来てもらわないといけない。転院するかどうかはあなたが決めていい。」と究極の選択を迫られることに…。

凄く悩みましたが、通院に付き添ってくれていた夫とも相談し、最終的には今住んでいる家から近い病院に転院することに決めました。今お世話になっている自宅近くの病院でも血液検査・尿検査を受けてみたところ、数値に問題はなく、「あなた本当にこの病気?と思うくらい数値は問題ないよ」と言われてしまいました。

産婦人科での妊婦検診でも毎回検査結果はよく、胎盤に血栓ができる、血管が詰まって赤ちゃんに栄養が届かず大きく育てなかった…なんてこともありませんでした。

この決断で正しかったのか、薬を飲まなくて本当によかったのか、出産ぎりぎりまでいろんなことを考えてしまいましたが、先日無事に可愛い我が子を出産し、妊娠期間を乗り越えることができました。

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妊娠12週の壁を越えてさらに初産スピード出産

ここからは、私の陣痛から出産までについてお話していきます。24歳の時に抗リン脂質抗体症候群という不育症であると診断された私が31歳で妊娠、32歳で出産を迎えたのですが、流産する可能性が高い妊娠12週までを無事に過ごし、この度2025年2月に陣痛・出産を乗り越え我が子を抱くことができました。

24歳で病気が発覚してから自分は不育症なんだと思い続けてきましたが、産後確認した母子手帳に記載されていた分娩時間は7時間9分で、出産そのものはかなり安産だったと助産師さんに言っていただきました。

陣痛を感じ産院へ駆け込むが子宮口2cmで一度帰宅

最初に「あ、陣痛来たかも」と思ったのは出産予定日3日前の朝2時頃のことでした。少し強めの痛みを感じ、「前駆陣痛かもしれないけど…」と思いながらも陣痛カウンターアプリで間隔を測ってみると、10分間隔。ちょうど夫は横で寝ていたので、これが5分間隔になったら病院に電話しようと決意し、3時間ほど時間を測りながら痛みに耐えました。

そしてあっという間に3時間が経過し、時刻は5時。陣痛の間隔は5分間隔になり、元々の予定では夫は6時頃に起きて会社に出勤していく日だったので、夫を起こして病院に連れて行ってもらうことにしました。

会社の人には急な連絡でとても迷惑をかけてしまったのですが、すぐに代わりの方が見つかり、夫を起こしてから30分後には病院に到着することができました。「これで後は頑張るだけ…」とほっとしていたのですが、分娩室に入り子宮口を確認してもらったところ、まだ2cmしか開いていないとのこと。

「たぶんまだ今から何時間もこの状態が続くだろうから、一度家に帰って寝て、お風呂に入って体を温めて陣痛の間隔がもう少し短くなるまで待った方がいい」と助産師さんに言われ、一度帰宅することになってしまいました。

その時私はまだ破水もしていない状態で、分娩室で陣痛の間隔を測ってもらったところ実際には7分間隔くらいで、私が5分間隔だと思っていたのは測り方に問題があったようでした。アプリでカウントしていたので、スマホを開いてタップするまでの動きが少し遅れてしまうことがあったので、正確に測れていなかったのかもしれません。

5分間隔の陣痛が続き同日夕方もう一度産院へ

結局一度帰宅してから再度病院に足を運ぶことになったのは、同じ日の夕方18時のことでした。早朝6時頃に病院を訪ねてから約12時間後です。

「こんなに痛いのにまだ絶えないといけないのか…」とその時は思いましたが、今振り返ってみると後に感じる赤ちゃんが出てくる前の最後のお腹の痛みは、比べ物にならないくらい凄かったです。もう絶叫。出てくる前は痛すぎて叫んでしまうし呼吸もかなり乱れるので、「うぅ…」と小さい声で痛がっているうちは前駆陣痛と考えていいのかもしれません。

しかしこの一時帰宅するという判断は後から思い出すととてもいい判断だったのです。夫婦ともにしっかり睡眠をとり、お風呂に入って体がさっぱりした状態だったので、お産に挑むために必要な体力を最大限回復させることができ、産後もシャワーを浴びれず気持ち悪い…と感じませんでした!

初産でスピード出産だった理由やコツかもと思うこと3選

初産の場合の分娩所要時間の平均は14.5時間だそうなのですが、私の今回の分娩所要時間は7時間9分と記載されていました。お産の最中にも、助産師さんから「普通はもう少し時間かかるけど、なんだか調子いいからあと1時間くらいで産まれるよ」「お母さんも安産だったんだろうね!」と声をかけていただきました。

分娩第1期とは、陣痛開始から子宮口全開大までの期間を言います。
所要時間は初産婦さんで平均14.5時間、経産婦さんで平均7時間と言われています。
引用元:小田原マタニティクリニック

結果的にスピード出産だったから書ける内容なのですが、私の中で「これがスピード出産の理由なのではないか」と思うことや、少しでも安産になるようにと意識していたことについてお話させていただきます。

実の母親も分娩所要時間が短かった

私の母親が私を産んだ時の分娩所要時間も、短い方でした。私には兄がいるので、2人目の出産で経産婦ではありますが、分娩所要時間は11時間。出産予定日より少し遅く産まれたようですが、分娩所要時間は短かったようです。

助産師さんから「お母さんが安産だったら、娘さんも安産になる可能性が高い」と言っていただけたので、これはスピード出産の理由の1つと考えることができるのではないでしょうか。

今回私たち夫婦の元には元気な男の子が生まれてきてくれたのですが、助産師さんは「2人目以降で女の子が生まれたら、きっとその子も安産タイプになるよ!」言ってくださりました。

妊娠初期から陣痛直前まで葉酸サプリを継続

妊娠初期から陣痛が来るその日まで葉酸サプリを継続して飲んでいたので、体がしっかりお産に備えられる状態になっていたのではないかと感じています。葉酸は赤ちゃんの発育に大切な栄養素ということなので…。

母乳に関わることや、産後のダメージ回復などの観点から、出産後も授乳が終わるまでは葉酸を摂取し続けた方がよいでしょう。出産後の母親に必要とされる葉酸の目安量も、厚生労働省から提示されています。

出産後の女性に必要な葉酸は1日に340µgです。通常時の摂取量の目安は240µgで、バランスのよい食生活を送っていれば240µgはおおむね自然に満たしていると言われています。
引用元:六本木レディースクリニック

分娩所要時間が短くなったことだけでなく、産後の母乳の出具合も凄くいいので、葉酸サプリは飲んでおいて損はないのではないかと思います。私が妊娠初期からお産当日まで飲み続けていた葉酸サプリは、ベルタ葉酸サプリです。

1日4粒飲むという錠剤の量の多さが少し負担に感じることがありましたが、その分葉酸にプラスして妊婦さんに必要な栄養素がたっぷり含まれていて、飲み続けたおかげで産前産後ともに健康に過ごせていることを実感しています!定期便で購入することで毎月ポストに自動的に届けてもらえるのが便利でした。

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妊娠後期からラズベリーリーフティーを飲み続けていた

妊娠後期からは、安産効果が期待できると言われているラズベリーリーフティーを飲み続けていました。ラズベリーリーフティーは子宮を強化し、分娩を助ける効果があると言われているため、妊娠後期からこれを飲み続けたことで出産が早く進んだのではないかと感じています。

ラズベリーリーフティーの主成分は「フラガリン」です。フラガリンには、一般的に子宮や腰回りの筋肉を収縮させて、機能を正常に保つ働きを促進する役割があるといわれています。「出産準備のお茶」「安産のお茶」といわれているのはこのような理由からです。
引用元:ままのて

▶ラズベリーリーフティーってどんな味?美味しい飲み方や売ってる場所

出産予定日1週間前から塩分制限を開始

出産予定日1週間前からは、塩分制限を開始しました。妊娠後期のむくみや体調管理を考慮して、塩分を控えめにすることで、体調が整い、スムーズな出産に繋がったのではないかと考えています。

体重管理ももう少し頑張りたいと思っていたのですが、臨月に入ってからのむくみがひどく、出産前の陣痛を迎えた日には妊娠前より14kgほど太っていました。体重増加やむくみは産道も狭くしてしまうと助産師さんに言われていたので、次に第2子となる赤ちゃんを妊娠することができた時には、より体重管理を徹底して少しでも産道が狭くならないようにしてあげたいと思っています。

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